
朗読のアナ 寺島尚正
ラジオアナウンサーは言葉を読み語る表現者。文化放送から、四十年にわたってリスナーに語りかけている寺島尚正アナウンサーがさまざまな作品を朗読します。その声が紡ぎ出す物語に耳をすませ、語りから無限に広がる想像力、日本語の奥深さをご堪能ください。
エピソード

山川方夫 「十三年」
各地が焦土と化した敗戦から、日本はわずか十数年で高度成長の波に乗り復興を成し遂げます。終戦直後は一家の支柱を喪失した家族も多く不安のなかで道徳も乱れましたが、復興とともに家族の幸福も取り戻されていました。戦後の混乱期に秘密の出来事を共有した二人が、偶然再会し探り合うようなやりとりをはじめます。

芥川龍之介 「おぎん」
芥川龍之介の切支丹物と言われるジャンルの作品です。処刑場に引き出されたキリシタンの少女は、崇高な信仰心と俗世を生きる人間の現実との間で揺れ動きます。宗教の殉じた少年を描き傑作と評される「奉教人の死」と対をなす作品で、時を経るにつれ再評価の声が高まっている短編です。

平林初之輔 「夏の夜の冒険」
大正時代の東京。夜遅くまで働き会社を出たあと、終電の時間が過ぎるまで同僚と飲んでしまった。そんな時間に駅の片隅のうずくまっているやせ細った少年を発見する。そこからちょっとした善意と正義感で、少年を家に届けることになったのだが、どうやら家庭は複雑で、子供への愛情のかけらも感じられない。そして善意と正義感は思わぬ結果をもたらすことになる。

久生十蘭 「湖畔」
小説の魔術師、多面体作家と言われた久生十蘭の面目躍如。小説のジャンルを横断して、人間の愛の本質に触れながら、サスペンスのように読ませていく不思議な味わいの短編小説です。歌手で作家としても評価されているさだまさしさんが、強く印象に残っている作品のひとつと語っています。

山川方夫 「カナリヤと少女」
言葉を話せない少女の純粋な初恋を描いた短編小説です。自分の分身のようなカナリヤとともに生きてきた少女は、若い船乗りにはじめて恋をしますが、行き違う運命が待ち構えていました。その純粋で一途な思いは、恐ろしくも残酷な結末へと進んでいきます。

山本周五郎 「内蔵充留守」
徳川家光より剣の師範に招かれるほどの達人ながら、在野で暮らすことを選んだ別所内蔵充(くらのすけ)のもとには、教えを乞おうと多くの武士たちが訪れます。しかし内蔵充は何処へ行ったものやら、長らく留守の続けています。帰りを待つ侍たちは思い思いに日々を過ごします。

新美南吉 「久助君の話」
新美南吉には久助君という少年が登場する<久助もの>と呼ばれる少年小説の作品群があります。その一つです。大きな事件が起こるわけではありませんが、なにげない日常の出来事のなかで、揺れ動く少年の心の綾が描かれ、自らの子どもの頃を思い出しジワリと沁みてくる作品です。

久生十蘭 「黄泉から」
美術史の研究をするためにフランスに渡った光太郎は、戦争終結期の混乱に乗じて、美術品仲買商に転身し抜け目なく立ち回って成功を手にします。それから商売以外のことはすべて色褪せて見え、かつての人との繋がりなどを忘れて過ごしていました。ところがある日、自分の身近にいた一人の女性のことを思い出したことで、不思議な体験をします。

芥川龍之介 「貉(むじな)」
貉は不思議な存在で、アナグマのことといわれますが、それに近い容貌の生き物全般の曖昧な総称のようであり、人を化かしたり驚かせたりする話が各地に伝わっています。本当にいるのか、本当にそんなことをするのかは問題ではなく、話が信じられて伝わることは、貉と同じように人の世も不思議に満ちていることを教えてくれます。

菊池寛 「祝盃」
久しぶりに上京してきた男は、かつて仲間内で一目も二目も置かれた才気に溢れた存在でした。今は田舎の小さな町で頭角を現すこともなく、埋もれて暮らしています。迎えた二人の男は、今では東京で成功をおさめ始めており、かつて自分たちのはるか先にいて羨望の的であった男のさえない姿を見て…。

吉川英治 「下頭橋由来」
箸の下に住み着いた物乞いの男は、頭を下げて施しを受けて暮らしてながら、近隣の誰からも嫌われないどころか、なにかと人の役に立っているようで、地域に馴染み好かれていました。しかし、ある侍があらわれて、この男には人には言えぬ過去があったことがわかります。

山川方夫 「予感」
主人公はなにか嫌な予感がしています。彼は自分の予感は当たると信じていますが、妻はそれを信じてはくれないだろうと言い出せずにいます。そして二人で旅に出ます。彼のなかで嫌な予感が膨らんでいきます。若い夫婦はどうなるのでしょうか?

梶井基次郎 「蒼穹」
梶井基次郎の創作のなかでも高く評価されているボードレールの影響を受けた掌編です。春の終わりの晴れ渡った日に、山と渓谷が描き出す造形と上空で形を変えていく雲。その空を眺めているうちに、闇夜の記憶が蘇ります。明と暗を繋いだものはなんだったのでしょう。

横光利一 「笑われた子」
子の行く末を考えない親はいません。悩んだ末、わずかな行動や会話から、子をその道に導いた話を耳にすることはよくあります。ここに登場するのは、親がちょっと心配するような子供です。親は日ごろの行動を見て、とにかく自分の力で暮らして欲しい思い、大きな可能性までに考えが及びません。短い作品ですが、横光利一のなかでも重視されている一作です。

野上豊一郎 「北信早春賦」
碓氷峠を越えて佐久平と向かっていくと、寒さのなかに春の気配を感じます。そして長野から湯田中へ信州の奥へと向かうほど、漂う風情は春がまだ遠いことを感じさせます。わずかな旅の間に自然の中で季節を行き来する心情を描いた随筆です。

芥川龍之介 「老年」
芥川龍之介の処女作です。大正3年、東京帝国大学在学中の22歳の時に「新思潮」に掲載されました。現代とは違い江戸に生まれ暮す若者にとって浄瑠璃や芸が身近ではあったとはいえ、このような老成した題材を高い技巧で描いた若き天才の登場は衝撃的であったことでしょう。

南部修太郎 「女盗」
列車で鼻持ちならない男たちや人目を引く派手な女と乗り合わせた男は、不快になりながらも彼らの振る舞いをつい観察してしまいます。作者の南部修太郎は大正から昭和の初めにかけて創作活動に取り組んだ小説家で、芥川龍之介に師事し「龍門の四天王」の一人とされていました。「三田文学」の編集主幹を務めるとともに、三田派の作家として多くの作品を残しました。

坂口安吾 「私の葬式」
身近な人を亡くした時の悲しみや悼む気持ちはいつも時代も変わりませんが、弔い方は時代によって変わってきました。昭和の戦後になると冠婚葬祭の様式が一般的に広まって、多くの人が参列する会になりましたが、令和の今は身内だけの小さな会が増えています。何事にも一言ある坂口安吾は、当時の葬儀の形式をあまり好まなかったようです。

山本周五郎 「兵法者」
昭和の戦前から線中期に発行されていた武道専門誌「新武道」に掲載された短編です。水戸光圀に仕えることになった兵法者を主人公に、武士の心得、身の処し方が描かれます。武士として自分を磨き腕に覚えがあるほど、自分を殺し主君に使えることの難しさが浮き彫りになります。

岡本綺堂 「河鹿」
その箱根の湯の宿は、清流に住む河鹿の声が聞こえてくるような静謐な場所にありました。そこで女三人の親子連れが同宿するようになってから、夜になると不思議な声が聞こえてくるようになったのです。

岡本綺堂 「月の夜がたり」
日本人は古の時代より月を愛でてきました。季節ごとに輝きながら満ちては欠ける姿を、人々がこぞって味わう月見の宴がある一方で、夜空に朧と浮かぶ幽玄な姿に神秘を感じ、幾つもの不思議な逸話を生み出しています。古き日本を聞き語る名手の岡本綺堂が、そんな月の夜の逸話を書き留めました。

小泉八雲 「常識」
世間の常識―それは世俗的な現実を生きる者にとっては当たり前に身につけねばならぬものであり、世事の些末な事柄から離れ理想や高みを目指す者には目に入らぬこともあります。後者こそ崇高な人物として貴ばれがちです。しかし、想像を超えた出来事に直面した際に、事実を見極め正しい判断をできるのは…。

太宰治 「眉山」
仲間たちとたむろする贔屓の店に、言うこと為すことが気に障るどこかあか抜けない若い娘が働いていました。客達はその娘をなにかと揶揄し、悪口に花を咲かすのでした。ある意味では名物娘でしたが、ある日突然店から消えてしまいました。そして客達は、娘の行動には理由があったことをはじめて知るのです。。

土田耕平 「大寒小寒」
”♪おおさむこさむ”は、日本各地で伝承されてきたわらべ唄です。続きは”山から小僧が飛んでくる”や”泣いてくる””やってくる”など、地方によって少しづつ違います。登場する小僧は、北風や木枯しの擬人化とも言われますが、作家の土田耕平の祖母は少し違った解釈をしていました。

夏目漱石 「元日」
日本の暮らしには、季節の移り変わりを示す二十四節気をはじめとしていくつもの節目があります。人はそれを何かの区切りとし、年度や月が改まる節目を心機一転の機会として、ともすればややも大げさに捉えたりします。見方をかえれば昨日の続きにすぎないのですが…1月1日の元日はその最たるもの。夏目漱石にとって、その節目はさほど心地よいものではなかったようです。

伊藤佐千夫 「大雨の前日」
小説「野菊の墓」で知られる伊藤佐千夫は、墨東低地帯で搾乳業を営む傍ら創作に取り組みました。小説や短歌に加えて墨田区を舞台とした写生文も残しています。その間に子供4人を幼くして亡くし、度々、水害に遭うなどの不幸に見舞われます。これはその水害を前にして、訪れる災いの予感を感じる様子を写し取った作品です。

直木三十五 「寺坂吉右衛門の逃亡」
忠臣蔵四十七士で唯一生き残った寺坂吉右衛門。後世様々な研究解釈がなされていますが、直木三十五はこのように見立てています。主君の無念を果たす討ち入りは、武士の本懐ともいえる名誉ある行いです。選ばれて参加するには、それ相応の身分でなければいけません。ところが寺坂はその身分にありませんでした。

坂口安吾 「人生案内」
承認欲求を満たすためにSNSに投稿する人が少なくないと言われます。時代をさかのぼると、新聞の「人生案内」や「身の上相談」の欄が同じような役割をしていたようです。坂口安吾が自分の書いたものが新聞に掲載され、多くの人に読まれる気持ち良さに憑りつかれた男について書いた短編です。

森鴎外 「牛鍋」
グツグツと煮える牛鍋を囲んでいるのは、夫を亡くした女と幼い娘、そして亡き夫の友人。食欲の思うままに肉を喰らう男は、娘に肉を与えようとしません。人間の本能と欲望が、食卓でのやり取りから浮かび上がります。

梶井基次郎 「小さき良心 断片」
その場の勢いで間違いをしでかしてしまい街を彷徨う男の脳裏には、さまざまな出来事が浮かんでは消えていきます。ついさっきまで友人と愉しく飲んでいたのに、状況が一変してしまいました。追い詰められ、自己肯定し、昔を思い出し、男は逃げ続けます。

高村光太郎 「人の首」
彫刻家でもある高村光太郎が、電車の中で人間を観察します。人々の顔を見ては面白さを感じ、魅力を発見し、人間を発見していく様子が興味深く描かれます。見知らぬ少女の顔をまじまじと見てしまい、のちにバツの悪さを感じる様子など可笑し味を感じさせる随筆です。

山本周五郎 「酒屋の夜逃げ」
以前は近所の商店の御用聞きが家々を回って、日ごろの暮らしに必要なものの注文を取り配達してくれました。支払いはつけで月末や年末に払ったものです。山本周五郎も馴染みの酒屋で頼んでは、後でまとめて払うつもりが懐ぐらいと折り合わず、酒屋の主人の人の良さに甘えて、ついつい支払いをあと伸ばしにしてしまいました。そのうち酒屋がつぶれてしまい…。

尾崎放哉 「石」
自由律俳句の代表的存在である尾崎放哉は、一流の経歴を持つエリート人生を歩んでいましたが、家族も仕事も捨てて流浪の人生を送りました。その最晩年は、島の小さな庵に居を移して終の棲家とします。その島に転がる石を見て思いを巡らせたのがこの随筆です。これからしばらくして放哉は人生の幕を閉じます。

宮沢賢治 「セロ弾きのゴーシュ」
活動写真館の楽団に所属するセロ(チェロ)奏者ゴーシュは、うまく弾くことが出来ずに楽団長に叱られてしまいます。その日を境に毎晩遅く動物たちが訪ねて来るようになり、怒ったり面倒臭がったりしながらも、動物たちの相手をしながら演奏することになってしまいます。

菊池寛 「身投げ救助業」
明治に入り琵琶湖から京都へ水を引くために、疎水工事が行われました。そして岡崎公園近くの疎水にかかった古い橋が、いつしか京都の自殺の名所となります。たまたまその近くに住んだ老婆が、川に身投げした自殺者に竿を突き出して救い、報奨金を得たのをきっかけに、いつしか身投げを救うことが生業になったのです。

芥川龍之介 「お富の貞操」
江戸開城後、上野の山に立てこもった彰義隊を新政府が征伐するという前日、住民が避難し閑散となった町に残った乞食は入りこんた町屋で、猫を連れに戻ってきた女と待ち合わせします。そこで乞食が良からぬ気持ちを抱き、女は猫を巡って貞操と尊厳の選択を迫られることになります。

小酒井不木 「犬神」
かつて西日本の各地には犬神にまつわる迷信が信じられており、狐憑きのように犬に憑りつかれると、家族まで犬神の筋と呼ばれて地域から特別視され、婚姻などでも特殊な掟にしばられていたそうです。医学博士で日本の探偵小説の黎明期に活躍した小酒井不木が、その犬神信仰を題材に創作した怪奇小説です。

正岡子規 「飯待つ間」
歌人の正岡子規は、生来食いしん坊の大食漢で、病の床にありながらも食事を待ちかねています。膳が運ばれて来るまでの間、どこかから聞こえてくる声や、身のまわりの様子に注意を払い、心に置き留めていきます。過ぎていくちょっとした時間をスケッチした掌編です。

江見水蔭 「壁の目の怪」
江戸は寛政の頃、上杉鷹山の命を受けた一行が、薬草を探すために山の奥深くの閉ざされた村を訪ねた。藩と繋がりのある村ではあるが、里人にとっては滅多になる余所者の来訪。一行は村一番の長者の家に迎え入れられるが、自分たちを見張るような姿なき視線を感じる。この村には独特の掟があるようだ。

水野葉舟 「テレパシー」
歌人で小説家の水野葉舟は、大正期に心霊や怪談の収集研究に没頭します。柳田国男と深い親交を持ち、代表作の「遠野物語」を怪異譚として高く評価しました。近代化に向かう当時の日本各地で伝承されていた怪談にも詳しく、それらの逸話の一つを取り上げた掌編です。

小川未明 「月夜とめがね」
お婆さんは一人暮らしの長い夜を、繕いものをしながら過ごします。目が弱ってきて針仕事もつらくなってきたようです。月の出た或る夜、そんなお婆さんに変わった客が訪れます。そしてお婆さんは、いつもと違う不思議な夜を過ごすことになります。

川田 功 「乗合自動車」
手練れの掏摸が刑事につけられています。気づいているのかいないのか、混雑した乗り合い自動車(バス)に乗ると、女性客の態度が癪に障り、その立ち居振る舞いに立腹します。そんなさなか目の前に、まさに掏ってくれと言わんばかりのカモが現れました。掏摸は一計を案じ、ひと騒ぎを仕掛けます。

津村信夫 「月夜のあとさき」
「戸隠では、蕈と岩魚に手打蕎麦」、これまで何度も戸隠を訪れている津村信夫は、そこで出会った夏の終わりの出来事、秋の宿での食膳、そして山の月と蕎麦打ちの様子を思い出します。山里の森閑とした月夜の晩の風情を感じる短編です。

芥川龍之介 「羅生門」
芥川の代表的作品です。時代は平安時代末期、災いが続いて荒廃した都の朽ち果てた大きな門で、秋の夕刻に、追い詰められた人間の我欲と無情さがあらわになっていきます。今昔物語集の「羅城門登上層見死人盗人語」と「太刀帯陣売魚姫語」をもとに、芥川がひとつの作品にしました。

岩本素白 「雨の宿」
いつの時代も、日本人にとって京都への旅は特別な感傷を抱かせるものではないでしょうか。時代とともに京都の風情も変わりましたが、多くの人々にとっての京都は、この随筆で岩本素白が体験したような詫び寂びの沁みいるような時を過ごす場所のように思えます。随筆の達人が京都に向かい、予定にない初めての宿を訪ねます。

山川方夫 「邂逅」
引っ越しをきっかけに、忘れかけていた幼き日の記憶が蘇ります。その記憶はところどころ曖昧で、なにか大切なことが抜け落ちてしまっている気がします。抜け落ちているなにかが明らかになったときに、より大きな謎のなかに迷い込むことになります。

小山清 「老人と鳩」
老いて資産もなく、健康にも難がありながら一人で暮らす。そんな身につまされる境遇で生きる老人が、暮しまわりで見かけるものい興味を示し、なにかを生み出すことを考え、人とのわずかなふれあいに心を動かします。さしたることも起こらずに続いていく人生を、それでも生き続ける様子が心に沁みる短編です。

壺井栄 「港の少女」
小豆島の港町を舞台にした短編です。戦争は人の命を奪い、ささやかに暮らす庶民の日常にも影を落とします。戦後の日本の姿は復興とともに語られがちですが、都市部を離れた地方では変わりなく繰り返される日常の中に、戦争に奪われたものの影響がゆっくりと切なくあわわれます。庶民の戦後の姿を映し出した作品です。

国木田独歩 「画の悲しみ」
子どものころ、画が好きで周囲からも画力を認められていたことを思い出す。しかし同じ学校には、自分より優れた画を描く少年がいて、いつの間にか対抗心を持つようになる。二人の交流を回想しながら、その後の人生と運命について思いをはせ、せつない感情が沸き上がる様子が心を打つ。

小山清 「老人と鳩」
老人は失語症を患い独り暮らしをしています。暮らしはつつましく、身の回りの小さな出来事が日々の彩りとなります。ふとしたきっかけではじめたモノづくりと、喫茶店で知り合った少女とのささいな交流が、また新たな変化をもたらします。日常の細部を丁寧に描いた、晩年の小山清の短編です。

壺井 栄 「裁縫箱」
母一人子一人で貧しく暮らしている12歳のヨシノは、母親に誘われ街に出かけ、思いもかけない経験をします。それは母親が近い未来に起こることを知っていたかのような出来事でした。弱き人々の暮らしに根ざした壺井栄らしい作品です。

島田清次郎 「若芽」
若くして亡くなった文士の死を扱った作品ですが、作者の島田清次郎自身が若くしてデビューして脚光を浴びながら、その後の放縦な行動で破滅的な人生を歩むことになり、早逝したことと重ねると作品の意味合いを考えさせられます。

奥野他見男 「支那街の一夜 ”馬賊に捕らわれた人の話”」
日清日露戦争後の中国は、世界が虎視眈々と狙っており、日本にとっても重要な意味をもっていました。そのため現在と同様に企業進出から観光まで多くの日本人が渡って活気をていし、中国の街の様子や文化について、日本国内でも多いに注目されていました。その国を当時の大流行作家が旅して書き残した紀行随筆の一話です。

加納作次郎 「少年と海」
「赤い鳥」に発表された児童文学です。能登の漁村を舞台に、海が荒れる予兆を感じた幼い少年が、これから起きる変化を想像するうちに、目の前で起きていることを見失ってしまいます。再評価されつつある加納作次郎の作品です。

蘭郁二郎 「足の裏」
特殊な性向を持った青年の奇妙な活動を描いた戦前の掌編です。作者は10代で江戸川乱歩に認められ、昭和モダンの時代らしい怪奇幻想の味わいがある探偵小説を発表していた蘭郁二郎です。谷崎とはひと味違うフェティシズムが、若々しい筆致で展開します。

伊藤佐千夫 「告げ人」
楽しい村祭りの前夜に、いわくつきの近親者の訃報がもたらされるところから話は始まります。家族が家父長制で結びついていた時代に、土地の慣習にしたがって暮す旧家が舞台となっています。現代とは違った家族のカタチが浮き彫りになる作品です。

正岡子規 「熊手と提灯」
凛と冷え込んだ初冬の夜道で、賑やかに往来する人々の群れとあでやかな灯りが現れます。寂寞の夜に祭りがもたらした対照的な景色を正岡子規ならではの筆致で描写しています。すでに病に侵されていた子規にとって、この体験は強く印象に残ったようです。

山川方夫 「ジャンの新盆」
フランス人の青年ジャンは東洋思想にかぶれ、魂の開放を求めてキリスト教では許されない自殺をはかります。願った通りに東洋の天界に行きましたが、お盆になると下界に戻るように申し渡されます。故郷と縁を切ったジャンは憧れの東京に降りることにしました。異文化を題材にしたユーモア小説です。

小山清 「栞」
関東大震災で被災し避難生活を送ることになった少年は、同い年の少女がいる親戚の家族と同居することになります。少しだけ今までとは違った暮らしの中で、少年と少女は仲良くなりほのかで淡い感情が揺れ動きます。繊細な心の動きをとらえた小山清らしいスケッチです。

芥川龍之介 「仙人(鼠使い編)
芥川龍之介は「仙人」のタイトルで二つの短編を残しています。これは先に書かれたものです。鼠の芝居を見せながら町から町へと渡り歩く男は、みすぼらしい老人と出会います。自分よりも苦しい人生を送っているように見える老人を知り、男にはある感情が芽生えていきます。

田山花袋 「アカシヤの花」
日露戦争の頃、中国の支社で働く二人の男が、本社の知人が社内不倫で左遷され、相手の女性は子供を産んだのちは不明という噂話に花を咲かせます。そんな二人が商用で中国を巡る旅をしているときに、ひょんな場所で噂の女性と出会います。田山花袋が本名の田山 録弥で発表した作品ですが、花袋名での登録としました。

牧野信一 「辞書と新聞紙」
王様は国の少年達の中から世継ぎの王子を選ぶとお布令を出します。全員が候補者で、王様の試験に合格した者が選ばれます。国中の少年達が書物にむかい勉強に励む一方で、貧しくて学ぶ書物を買えない羊飼いの一郎君にはなすすべがありません。それでも試験を受けなければなりません。どんな試験が行われたのでしょうか?

宮沢賢治 「烏の北斗七星」
かつて戦争で戦闘機よりも戦艦が主力だったころ、普段は商船として運用されている海運会社の船舶を、軍艦として艦隊に編成したものを義勇艦隊と呼びました。戦時でなければ普通の船、普通に暮らす人々も、いざ戦うことになれば与えられた役割に徹することになります。しかし、心をすべて変えることは出来ません。カラスの義勇艦隊の話です。

鷹野つぎ 「虫干し」
鷹野つぎは明治23年に、現在の静岡県浜松市の中流の商家に生まれました。少女時代から文学に触れて創作をはじめ、結婚や出産後も夫の転勤で各地を転々としながら、小説、随筆、詩や和歌を発表していきました。当時の浜松の四季のうつろいと子供たちの日々を題材にした作品をいくつも残しています。

久生十蘭 「一の倉沢」
息子が谷川岳で遭難した知らせを受けて救助活動に向かった父親は、自分自身の人生を見つめていくことになります。登山家として技を磨き山を制してきた若き日は過去のものとなり、今は仕事場で時間を潰すだけの日々を過ごしていました。遭難した息子の捜索活動は、自分自身の価値を試す試練に変わっていきます。

幸田露伴 「野道」
春うららかな頃、老境を楽しむ人生の先輩たちに誘われて、郊外の野道を散策します。持ってくるように言われた板切れに塗り込んだ味噌を準備し、なんでもない景色や草花の様子を慈しみながら、のどかな道行きを愉しみますが、一つの事件が起こります。滋味深い露伴の名作短編です。

菊池寛 「蠣フライ」
食いしん坊であった菊池寛による洋食と恋愛が絡み合う短編小説です。かつて愛した女は、自分に食事する姿を見られることを避けていましたが、大好物の蠣フライだけは別でした。ある日、汽車の食堂車でかつての女らしき姿を認めます。夫婦連のようです。過去が甦り、あの女なのかどうか気になります。

国枝史郎 「畳まれた街」
ピストルの音とともに探偵があらわれた街は、建物も人も様子がおかしい。まわりは犯罪人ばかりに見える。 日本の怪奇幻想小説の先駆者で、個性的な作品を残した国枝史郎のトリック小説。

堀辰雄 「あいびき」
「風立ちぬ」の堀辰雄の短編です。街で見かけた少年と少女の様子から、もどかしく愛を伝え合おうとする気持ちの動きが伝わってきます。堀辰雄ならではの情景描写の素晴らしさを感じる作品です。

楠山正雄 「文福茶がま」
表題が多くの人に知られている「文福茶釜」は「分福茶釜」と書かれることもあります。日本全国にタヌキやキツネが茶釜に化ける話が伝わっていますが、もっとも有名なのは群馬県館林市の茂林寺を舞台にしたこの話ではないでしょうか。茶釜に化けて人に捕まってしまったタヌキが、芸を披露し一躍人気者となります。

正宗白鳥 「母と子」
故郷の母親から手紙が届きました。素朴な内容ながら息子を気遣う気持ちが伝わり、妻は母の人柄に親しみを感じますが、息子は母が過ごしてきた人生を思い起こします。子供にとって親の本心というものは、分かるようで分かりかねるものではないでしょうか。息子は、思い起こせば母は幸せではなかったという思いにかられます。

芥川龍之介 「運」
観音様へに参詣する人々が行き来する様子を物憂げに見ていた若侍が、職人の老人から話を聞かされます。貧しい娘が観音様に願掛けに行ったところ、おかしな予言を聞かされ、思わぬ出来事に巻き込まれていった話です。若侍は人の運不運について考えさせられることになります。

豊島与志雄 「狐火」
体が大きく見た目にも剛毅に見える馬方の三吉は、馬車で事故を起こしてしまいます。本人は悔やみきれない思いや屈託を抱えている一方で、周囲はその事故から三吉を底知れぬ乱暴者と畏怖し、怯えて接するようになります。周りに下手に出られては酔って大きな気分になり、事故を思い出しては悔やむ日々を過ごすうちに三吉はおかしくなっていきます。

薄田泣菫 「桜の花」
桜になに想う。薄田泣菫は明治詩壇で一時代を創り、「望郷の歌」「公孫樹下に立ちて」「ああ大和にしあらましかば」といった作品は、当時の人々に愛唱されました。韻律を心地よく操る詩人であったうえに、博識で和漢洋に広く通じ、話術も巧みだったという泣菫の随筆です。

山本周五郎 「武道無門」
世の中には、どうにも自分に向かないことがあるものです。それでもやらねばいけない時がないとはいえません。武士の時代、侍の誰もが武芸を得意としたとは限りません。それでも支障のないお役目につければやり過ごすことはできますが、いざ武の力を問われることになったとき、どうすればよいのでしょうか? そんな侍の話です。

島崎藤村 「朝飯」
旅の途中で、尾羽打ち枯らした若者が玄関に現れて、空腹を訴えて救けを求めます。家主は援助と、自らの経験に基づく助言を与えます。助けられる者と助ける者、反対の立場に立つ2人の行動から人間の本質が見えてきます。

小川未明 「美しく生まれたばかりに」
自分にないものを持って生まれているのを見れば、誰しもうらやましく思うものです。しかし持って生まれたばかりに、思いもかけぬ運命に導かれてしまうこともあるようです。美しい声で鳴くこまどりは、その可憐さゆえに大切なものを失ってしまいます。

太宰治 「葉」
さまざまな話が木の葉のように重なり合うなかで、太宰らしい言の葉が横溢している不思議で魅力的な短編です。ワードセンスに優れた太宰の代名詞ともいえるフレーズからはじまります。

亀井勝一郎 「家族といふもの」
亀井勝一郎は文芸評論や「大和古寺風物誌」などの文明批評で有名ですが、人生論や恋愛論のベストセラーも次々に生み出しました。戦後を迎えてもなお、日本には家族が絶対的な支配権を持つ家父長制の価値観が色濃く残っていました。それは近代的な自我を持った個人とは相いれない部分も多く、家族観に惑う時代にその在り方を見つめなおした一編です。

太宰治 「あさましきもの」
自らが不道徳や間違いを行ったにも拘らず、それを正しく罰せられることなくまぬがれたあとに、人にはどのような感情が沸き上がるのでしょうか。社会的に認められた人物であるほど、その感情は心の底に澱のように溜まっていくようです。











